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032 ラリー・クラーク パンク・ピカソ展
明日書きます。
# by buntai8 | 2004-11-25 00:45
031 深澤直人 ありそうでないもの展。
ワタリウムの一階と地下にあるショップオンサンデーズで行われている展覧会。
深澤直人は、今一番注目されているデザイナーの一人と言えるだろう。
彼の作品は、ミニマルな形態をしたものがほとんどで、一見ただけでは、今はやりのデザインをする人だと思ってしまうかもしれない。
しかし、彼の作品の特徴は、視覚的な形態にあるのではない。彼が、デザインする際に注意を払っているのは、そのプロダクトを使う人が、何を感じるのか、使う人の生活の中で、どのように使われ得るのかということである。
深澤は、デザインをするために、人の行動を注意深く観察している。そして、日常の中にある、あたりまえに行われている、常識といった行為を、再発見しデザインに生かすのである。
この展覧会では、彼がデザインした様々なプロダクトを実際に見ることができる。±0シリーズ、INFOBARなど、主要な作品は、全て展示されているといっても良いだろう。地下には、深澤自身が撮影したスナップ写真も展示されている。
これらの写真は、深澤によって発見された、日常風景の中の一コマで、全てにタイトルが付けられている。それらのタイトルは、深澤の視点を、写真から読みとる助けをしてくれる。これらの写真は、単に趣味として撮られたモノではなく、深澤のデザインプロセスの中の一つと言えるだろう。
この観察を重視する方法は、深澤が、独立前に所属していた会社、IDEOでの経験に寄るところが大きいのではないかと思われる。Ideoのデザイン方法は、『発想する会社』という書籍に詳しく書かれているが、とにかく、絵を描き出す前に、徹底的に、対象となるプロダクトを使う人を観察する。そこで、見つけたものを形に落としこんでいく、という作業をするのである。

彼の作品は、実際に使われることを想定して、作られているため、見た瞬間にその特徴やすばらしさが分かるものではないかもしれない。
しかし、作品と同時に、彼の思考やプロセスもかいま見ることができる、興味深い展覧会ではないかと思う。
# by buntai8 | 2004-11-25 00:42
030 ウェイスト・ダウン スカートの全て展。
Prada青山で、行われているスカートをモチーフにした展覧会。
Herzog&De Meuronの建物で行われるということと、展示の企画がOMA/AMOということで注目度は高い。
これだけ、建築界のビックネームの名前を聞かされれば、期待感が高まるのはあたりまえだ。僕も大いに期待して出かけた。
展示物も気になるのだが、それよりも気になるのは、展示方法。OMAがどんな、展示方法を提案してくるのかが見所。
そんな心意気で向かった。

展示は、プラダの建物全体を使って行われていた。
六階の展示室がメインになっているのだけれど、下の階の売場の中にも展示物が散在しているといった模様。

階ごとに違う見せ方をしている。
六階では、写真を巨大に引き伸ばし、スカート部分をクローズアップしたものが展示されていた。写真の裏面は、鏡のようになっていて、様々な風景を反射していた。

その他の階では、真空パックにスカートを閉じこめた展示や、天井につるされ、回転するスカートなど。いくらかのバリエーション。

しかし、OMAの名前だけが先攻している感はいなめない。

吊され回転するスカートは、試みとしては、興味深かったけど、メインの展示となっている、巨大な写真の見せ方とかも、ちょっとチープな感じがする。

あえて、プラダという高級ブランドの服をチープな見せ方をしたのだろうか。

この展示の為に、図録も制作されているようでそちらにもOMAの名前が入っていたのでBOOKデザインなどでかんでいるのかもしれない。

# by buntai8 | 2004-11-23 22:16
029 中国歴代王朝展
所用のついでに中国歴代王朝展に立ち寄った。

様々な、土器、彫刻などがならんでいる。

それらは、歴史的に重要とされているもので、日本で言う国宝と同じ扱いをされていることが記されている。

コンテクスト主義。茂木さんの講演のmp3を聞いていて記憶に残っている。

全ての、コンテクストを取り除いて何が残るのか。そこに残ったものが本当の美術なんだ。というようなことを言っていた。

この、何の予備知識もなく純粋に、自らが感じたときに、おこる感情。これがクオリアらしい。

この、茂木さんの芸術論には、共感を持てる部分がある。

僕は、作品を、物体としてみたいと思っている。

それを、見たときの感情、ものが持つ雰囲気。

それらが、作品の本質で、あることに疑いの余地はない。

しかし、その作品が、設置される状況。場所、展示方法は、否が応でも、作品の見え方に関わってくる。

このような意味でのコンテクストは、作品にとって非常に重要だと思う。

しかし、ものを見るときには、常に見る人が持つ、予備知識、記憶が関係してくる。

より、多くの経験を持つ人が見た場合では、見えてくるものが変わってくる。

どこまでを、知覚の範囲として考えればいいのかは、まだよくわからない。


僕が、古代の、土器、彫刻を見て感心させられるのは、そこに適用されている、ディフォルメである。

それを、見るといつも、メルロ・ポンティの『目と精神』の一節が思い出される。

記憶は、乏しいが、確かジェリコという画家の描いた馬の絵についての発言だったと思う。

ジェリコの描いた馬は、実際には、ありえない姿勢で描かれている。しかし、その絵の中の馬は、疾走しているようにしか見えない。

この展覧会で見た、馬の彫刻も同じだ。

足は、実際のものよりも太く、首も太い。全体のバランスは、実際の馬とはかけ離れている。

しかし、それは、生きる馬の躍動感を実に良く表現していると思える。

古代の彫刻家は、写実的にものをつくることよりも、その雰囲気、印象を形にするための技術を磨いていたのではないだろうか。

彫刻の形態ではなく、彫刻の形態を操作することで、生み出される、雰囲気の操作。が行われているように思えてならない。

この展示を見ることで、僕の美術を見るスタンスを再確認することができた。

モノがもつ、雰囲気を、感情を、先入観なしに感じ取ること。

そして、どのような操作によってなされているかを分析すること。

文章による描写力を鍛えなきゃ行けないな。

# by buntai8 | 2004-11-23 01:12 | Exbition
028 森万里子 トランスサークル
小石川植物園の一角。総合研究博物館小石川分館。

昼休みを利用して、森万里子展に足を運んだ。

森さんの作品を見たのは、2回目。

一回目は、掛川の資生堂ギャラリーでの、初期の写真作品。

本格的に、立体、彫刻を作り出してからの作品は見ていなかったので楽しみだった。

暗闇で光をはなつ、彫刻作品と、リチャードロングのアースワークを思い起こさせる、写真。写真、ドローイングが主な展示品。

作品を見ていて、椹木野衣の森万里子批判を思い出す。

その内容は、技術的なところが稚拙だというようなことだったと思う。

確かに綺麗。写真ばえすると思う。

でも、実際にみたそれは、すこし薄っぺらい気がする。

作品を、洗練化させる方法論をとるならば、もっとやらなければいけないとおもう。

僕は、美術や表現は、技術だけが求められるべきではないと思う。

何を、どうしたら表現できるのか、それを具現化する技術。それが必要ではないだろうか。

その技術は、一つの美なるものを目指して用いられるものではなく、より多様性に富んだものだと思う。

このコトを考えていつも思い出すのは、諸星大二郎のマンガだ。

諸星の絵は、決してうまくはない。画力は低いと言われている。

でも、諸星のマンガのストーリにはあの絵がしっくりくる。

鳥山明の絵では、あの雰囲気が再現できるとはとうてい思えない。

そういう、コトを考え、この展示を見ると、もう一つかなあと思ってしまう訳です。

森さんのやろうと思っていることが彫刻にうまく反映されていないのではと。

時間がなかったので、足早での見学になってしまったが、機会があれば、もう一回じっくりみたい。
# by buntai8 | 2004-11-18 23:14
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